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2ch/男主主従エロパロ/坊ちゃんとメイド

あの名文をまた読みたい人用のまとめ

スレッド:愛するが故に無理やり…… Part9より
作者:不明


「お、お止めください!」  
「どうして僕の想いが分からないんだ!」  
「若様、わたくしは卑しい身分の女にございます」  
「……僕がお前を買ったんだぞ!お前は僕のものなんだ!」  
──ああ、どうして……どうしてそのように仰るのですか。  
 わたくしはこの屋敷のメイドの中でも最も低層な存在でございます。この国ではメイドにも  
二種類ございまして、給金を頂いて働く雇いメイド、そしてもう一つがわたくしのように  
"市場"で買われ、住む場所と食事を与えられる替わりに一生お仕え申し上げるメイドで  
ございます。  
「今まで、ずっと我慢してきたけど、もう堪えられない」  
 そのまま圧し掛かられ、わたくしはソファの上に押し倒されてしまいました。頬に当たる  
革の冷たさに身体が独りでに震え出してしまいます。  
「そんなに僕のことを嫌がらなくてもいいじゃないか!」  
 若様の手が襟にかかり、そのまま強引に音を立てて、メイド服を引き裂かれてしまいました。  
黒地に映える白いプラスチックのボタンが飛び散り、乾いた音を立てて床に落ち辺りを  
転げまわる様がまるでスローモーションのように思えました。  
「僕がどれだけ我慢したか、お前はまるで分かっていない」  
──分かっていないのは、若様の方です。あなた様のように尊い御方が、最下層の  
わたくしのような卑しいメイドに手を付けるなど間違ってもあってはならぬことなのです。  
まして、これからご結婚される身でございますのに。  
 申し上げたいことは山のようにありましたが、気が動転したわたくしでは上手く言葉に  
することなど到底叶わず、何とか搾り出した声も掠れていました。  
「だ、ダメです。こんなことが……旦那様に知られたら」  
「父さんは関係ない!僕は僕の意思でお前を抱くんだ!」  
 押し付けられた唇から捻じ込まれた舌にわたくしの口内は蹂躙され、声を上げることすら  
ままなりません。  
「はっ……はっ……」  
 荒い呼吸の若様の瞳には強い欲情の光が宿っておりました。  
 わたくしはこの御方の"もの"です。お屋敷によっては買われたメイドを夜伽の相手になさる  
こともあると聞きます。それでも、この御方のお父上は風紀の乱れに厳しく、夜伽の相手は  
雇いメイドと決められておいでです。  
 しかし、そのような決まり事など今の若様には関係ないのでしょうか。ささくれ一つない  
滑らかな手が裂けた服の隙間から差し込まれ、わたくしの乳房を荒々しくお掴みに  
なられました。  
「い、いやぁぁ」  
 身を捩って逃げようとしましても、若様の均整の取れた身体に押さえつけられてはどうすることも  
できません。胸に走る痛みとそれに混じる微かな痛みとは明らかに違う感覚に心は  
翻弄されていました。  
「わ、若様。お願いです……んっ……今なら」  
「嫌だ!言っただろ、お前は僕のものだって!」  
 
 若様の指に籠もるお力が一層強くなって、自分の小さな乳房は捻り切られそうになりそうな  
錯覚に陥りました。しかし、それ以上に"もの"と言われた若様の言葉が胸の奥を深く  
抉りました。  
 
 でも、それは紛れもない事実でございます。   
 わたくしは二度買われた女です。若様に買っていただく以前は、あるお屋敷にメイドとして  
一度買って頂いたことがございました。しかしながら、そのお屋敷の奥様のお怒りを買い、  
わたくしはお屋敷を追われ、再び"市場"に戻ることとなりました。この場合、前の御主人様が  
わたくしを買われたお金の四分の一をお戻ししなければなりませんが、貧しいわたくしの  
両親にはそのようなお金は残っておりませんでした。そうなれば、もう一度、どなたかに  
買っていただくか、娼婦として身体を売るかのいずれかの道しかございません。  
 しかし、"市場"のブローカーからは、「その年で新たな買い手は見つからんぞ。女なのだから  
男を愉しませて稼いでみろ。お前なら充分客がつくぜ。何なら俺が最初の客になってやっても  
いいぞ」と嘲り混じりに言われました。  
 一般的に"市場"で売られる年齢は十代前半でございます。そして、買われるとすぐに  
メイドとしての教育を受けるのが通例となっております。だから、わたくしのように二十歳  
間際にして"市場"に出る女など何か訳有以外の何者でもございません。そして、トラブルを  
お嫌いになる上流階級の方々がそのような者を買うことなどありえないのです。  
 案の定、"市場"が定めた期限が近づいてもわたくしを買ってくださる方は現れませんでした。  
 微かな望みが絶望に変わりかけた時、あのお声を聞いたのでございます。  
「お前を買いたい。幾らだ?」  
 一生忘れることはないそのお言葉は今でも大事に胸に刻んでおります。  
 
 一人の"女"としてなどという大それた望みは、とうに捨てております。ただ、お買い上げ  
頂いた若様にお仕えすることだけを喜びとして今日まで過ごして参りました。若様がさる  
名家の御子女と結婚なさると聞いた時は人知れず涙したものでした。その時になって、  
自分が若様をお慕いし、"もの"ではなく"女"として見て頂きたいと望んでいたことに  
気づきました。しかし、叶うべくもない望みは心の奥深くに埋め、若様に御結婚のお祝いを  
申し上げたその夜に、このようなことになってしまうとは皮肉なものでございます。  
「はっぁ……んんぅぅ……ぁぁ」  
 若様はわたくしの女の部分を指先でなぞりながら、執拗に愛撫なされます。そのせいで、  
淫猥な音がそこから立つようになってしまいました。  
「ほら、聞いて御覧。お前だって僕を欲しているのではないか?」  
 少し優しげに若様がわたくしの耳元で囁かれました。  
 わたくしとて、"女"としての悦びを知らない訳ではございません。ただし、それはもう  
捨てております。売られたものが普通の幸せを望むことなど許されるはずがございませんもの。  
逃げていきそうになる理性を必死に手繰り寄せ、弱々しく首を振って若様の言葉を  
否定しました。  
「ダメです……お願いでございます……もう、もうこれ以上はいけません」  
 
 それを聞いた若様のお顔は苦虫を潰されたような表情になり、押し黙られてしまいました。  
それでも、刷毛で掃くような労わりのある優しい愛撫は止むどころか、一層わたくしを  
追い立てるように執拗なものとなりました。  
 呼び起こされた快感に、わたくしは流され始めていました。やはり、諦めたと言っても所詮は  
"女"なのでしょう。密かに心寄せる方に求められれば、拒まなくてはと思っても身体の熱を  
抑えることができないのです。  
 いつしか、若様の先端が入り口に宛がわれても、湧き上がる熱に浮かれてしまったわたくしは  
事態の重大さに気づいておりませんでした。  
「いくよ?」  
「!?……そ、それだけは!いけません!イヤァァ……ァァああ……んくぅぁ」  
 悲鳴交じりの拒絶の言葉を無情にも遮り、若様はわたくしの内側に入られました。  
「……すごく……気持ち良い。温かい」  
「いけません、いけません」  
 必死に首を振るわたくしの乱れた髪を若様はその御手で柔らかく撫でてくださいました。  
「ごめんよ。でも、我慢できない。もう引き返せないんだ」  
 それを最後に若様は一言も発することなく、ただ只管にわたくしの内側に硬くそそり立った  
逞しい性器を打ち付けられては、引き抜かれ、また打ち付けるということを繰り返して  
おいででした。不思議なことに、若様のお顔には悦びの色は浮かばず、むしろ痛々しい  
ほどに悲しげな御様子でした。  
 きっと、御自分が婚約者のいらっしゃる身でありながら、わたくしのような婢女を抱いて  
しまっていることに罪悪感を抱かれていらっしゃるのでしょう。  
 わたくしがいけないのです。わたくしのような女が若様の周りについたばかりに、お若い  
この御方は過ちを犯してしまったのでしょう。  
 徐々に激しくなる抽挿に身体の奥から快楽の波が押し寄せてきて、わたくしは遂に考える  
ことを止めてしまいました。ただ、それでも若様の前で乱れてしまわないように唇を噛み締め、  
声を押し殺し、ただ只管に堪えることに徹しました。  
「だ、ダメだ……もう、我慢できそうにない……出すよ!」  
 その一言でわたくしは現実に連れ戻され、最悪の事態が起こりつつあることに気がつき  
蒼褪めました。  
 しかし、もう遅かったのです。  
 若様が大きく腰を引き、今まで一番深く突き込まれました。身体を串刺しにされるような  
感覚と同時に、若様の熱い迸りがわたくしの胎内に注ぎ込まれたことがハッキリと分かり  
ました。しかも、奔流は一度ではお収まりにならず、わたくしの内側で若様が脈打たれる度に  
貴重な子種が搾り出されました。  
 やがて、全てをお出しになられると緩慢な動作で若様は身体をお離しになられました。  
 きっと、溜めていらっしゃった欲望を吐き出されて満足なさったのでしょう。虚ろな眼差しで  
ソファに横たわるわたくしを見つめておいででした。本来であればすぐにでも立ち上がって後の  
お世話をすべき──少なくとも雇いメイドがお手つけを受ける時や閨の指導を申し上げる時は  
それが礼儀なのです──が、慣れないわたくしはただ、股の間から若様の精液が流れ出る様を  
ただ呆然と見ていることしかできませんでした。  
 
──ああ、これでもう働くことができないかもしれない。  
 お手つきになるメイドは避妊だけは欠かしません。何故ならば、高貴な御方の子を  
宿すことは卑しい身分のものには許されていないからです。万が一、そのようなことに  
なれば子の命は絶たれ、お屋敷を追われることになってしまいます。  
 もう二度と若様にお仕えできないかもしれないと思うと自然と涙が零れてしまいました。  
「な、泣くほど嫌だったのか……」  
 若様は慌てた御様子で身を屈め、わたくしの顔を心配げに覗きこんでおいででした。  
「……若様、わたくしはもうお側にお仕えできないかもしれません」  
「な、何を言っているんだ!ダメだ!お前は僕のものだ!一生、僕のものだ!」  
 弱々しくかぶりを振ったわたくしに若様の唇が強く押し付けられました。あまりのことに  
思わずわたくしは狼狽してしまいました。  
「わ、若様?」  
「僕がお前を一生守る!一生かけて幸せにしてみせる!だから……」  
 若様はもう一度わたくしの唇を求められました。今度は大人しく若様を受け入れ、  
失礼かとは存じましたがこちらからも舌を絡めました。それが、若様のお言葉に対する  
わたくしのせめてもの応えでございました。  
「わたくしには勿体ないお言葉……嬉しゅうございます。しかし、若様とわたくしでは身分が  
あまりに違いすぎます。それに今、頂いた子種で万が一わたくしが身籠ってしまえばお屋敷に  
は置いて頂けません。いえ、それ以上に若様の御名にも傷がついてしまいます」  
 それでも、若様の眼差しはたじろぎもせずわたくしに注がれておりました。  
「それに御婚約のこともあります。今日のことはただの夢とお忘れください。このようなこと、  
若様にとって良いことにはなりません」  
 わたくしは自分の心を偽るように、上辺だけの微笑みを浮かべて若様に「これでお別れです」と  
無言のうちに告げました。  
 その応えは──  
 
「お前を誰にも渡さないし、どこへも行かせない。僕だって同じだ。だから、さあ、僕のものになっておくれ」  
 
 優しい──でもどこか悲痛なお声でした。それはきっとこれからの二人の行末を暗示して  
いるのだろう、とわたくしは思いました。  
   
(了)  
 
「若様のお相手は何とかの宝石、と称されているお美しい御方らしいわよ」  
「きっと、お似合いのお嬢様でしょうね」  
「結婚式はこちらでおやりになるのでしょう?忙しくなるわね」  
 仲間のメイド達が楽しそうにお喋りに興じる中、わたくしは胸に重く圧し掛かる  
思いを振り払おうと、明日のお食事の材料を準備するため、離れにある貯蔵庫へと  
一人向かいました。  
 お屋敷はとても広く、離れと申しましても歩いて五分以上かかります。その上、夜も  
更けてまいりましたので辺りは暗く、頼りになるのは回廊の柱に灯された蝋燭の明りと  
手に持ったランプだけです。  
 厚い雲が空に立ち込めた今宵は、蒼白い月の明かりも差し込んではくれません。  
廊下には蝋燭の炎に照らし出された柱の影が不気味に伸びておりました。わたくしは  
小心者でございます。普段からこの食材を取りに行く役目は苦手でございましたが、  
今日は生きた心地がしないぐらい恐ろしく感じます。しかし、お勤めはお勤めです。  
震える足を一歩ずつ進ませ、何とか離れまでやってくることができました。  
 離れに辿りついたことで、わたくしは油断してしまっていたのでしょう。  
 安堵の溜息を吐いた瞬間、後方の柱の影から忍び出てきた"何か"に抱きすくめられ、  
叫び声を上げる前に口元を素早く抑えられてしまいました。身の毛もよだつ様な恐怖に  
震えながらも、わたくしは助けを求めようと必死に身を捩り抵抗を試みました。しかし、  
拘束は緩まるどころか、ますます強くなっていきます。泣きそうになる心を奮い立たせ、  
尚も身悶えを繰り返しましたが、声を上げたところでここは普段、人の立ち入らない  
場所です。きっと誰にも気づいてもらえないでしょう。  
 自分の人生はここで終わってしまうのだろう、と覚悟を決めたその時でした──  
「頼むから落ち着いておくれ。万が一、誰かに見つかると厄介だ」  
 耳元で密やかに囁かれた声は、あの御方のもの。  
「わ、若様!?」  
「そう、僕だ。だから落ち着いて」  
 そっと口元から手が離れ、動きを束縛していた手が緩まったので振り向くとそこには  
夜着の上にコートを羽織られた凛々しい若様が立っておられました。  
「……何をなさるのですか!」  
「お前が悪い。ここ最近、全然顔を見せない。僕を避けている」  
 確かに”あんなこと”があって以来、わたくしは若様のお側仕えを意図的に避けるように  
なりました。特に日が暮れてからは、若様の前に参上することはしておりませんでした。  
「僕の気持は分っているのに……僕を避けるお前が悪い」  
「あ、あんなことを二度としないとお約束頂けるならば、いつでも……」  
 次の瞬間、強引に唇を奪われ、柔らかな若様の舌で口内をねっとりと舐られます。  
「悪いけど、それは無理な相談だ。お前は僕のものだ」  
 強い眩暈を覚え、立ち眩んでしまいます。この御方は聡明ではあらせられるけれども、  
まるで事の重大さにお気づきでない。  
「若様は、名家の子女を伴侶としてお迎えになられるのでありましょう?」  
「僕が興味ある女は、お前だけだ。お前以外の誰かなど僕にとってはどうでもいい存在だ」  
 信じられないような台詞を真摯な眼差しで仰られたため、わたくしは言葉を失って  
しまいました。  
 
「信じて欲しい。僕はお前が欲しい」  
「……わたくしは、若様のものでございましょう?」  
 皮肉を込めてそうお返しすると、若様は眉間に皺を寄せて深刻な表情をなさる。  
「お前の心は僕に向いていない」  
「わたくしのお仕え申し上げようという気持ちに二心はございません」  
「違う!……僕は忠誠など望んでいない」  
 若様がメイドとしての忠誠でなく、一人の女としての愛情を捧げよ、とわたくしに仰っている  
ことは重々承知しております。しかし、主人と最下層のメイドの立場は勿論のこと、若様は  
御婚約を控えられた身であり、本来であればこのような場で二人きりでお話することすら、  
罪深いことでございます。  
「無茶を仰らないでください。わたくしは卑しい女です。若様のお相手は……!?」  
 次の瞬間、若様に手首を掴まれそのまま何かを巻き付けられると、空き部屋に強引に  
連れ込まれてしまいました。  
「わ、若様。な、何をなさるおつもりですか!?」  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
 
「んっ……やぁ……おやめ……ぁぁ、く、ください」  
 部屋に引き込まれると、縛られた両手を壁面のホックに掛けられ、壁に向き合って  
立つような姿勢を取らされました。若様の眼前に、わたくしの臀部が無防備に晒されて  
しまっております。  
 若様は無言のままわたくしの身体に掌を這わされました。しかし、、早々に下着を  
剥ぎ取られ後ろからこの御方の熱いもので貫かれてしまいました。わたくしの嫌がる  
素振りなどまるで気にする様子もなく、若様は強引にことをお進めになられています。  
腰を掴まれ乱暴にお尻に若様の身体が叩きつけられる度に、全身に熱を持ったピリピリ  
とした刺激が走ります。  
「どうして……どうして!」  
 首をどう動かしても、後ろに立たれた若様のお顔が見えないことは分かっています。  
ですから、薄暗い壁に向かってありったけの声で叫びました。  
「こんなの……こんなの、ふっ、んぁ……いけま……せん」  
 わたくしは買われたメイドという卑しい人間ですが、娼婦ではありません。しかし、  
これでは娼婦以下の、まるで肉欲だけを満たす玩具です。自由を奪われ、相手の顔も  
見えず、無言のまま突き入れられるなど──相手が若様でなければ、恥辱のあまり舌を  
噛んで死んでいてもおかしくありません。  
「いや、いや……お願いです……ぁぁ」  
 身を捩って抵抗を試みますが、腰に回された若様の手に抑え込まれ無駄な試みに  
終わってしまいます。  
「僕は……」  
 この部屋に入って、初めて若様のお声を開きました。  
「僕はお前に僕の子供を産んで欲しいんだ」  
「!?」  
──な、何を仰っているのでしょうか、この御方は!  
 
「そ、それは若様の奥様のお役目……」  
「僕はお前に子供を産ませる」  
 わたくしの言葉を遮った若様の声には興奮する様子もなく醒めた淡々としたものでした。  
「子供はその子一人だ。僕はお前以外の女を閨には連れ込まない。例え、それが  
妻だとしてもだ。そうなれば、いずれ父さんも母さんもお前と子供を認めてくれるはずだ」  
 無茶苦茶なお話です。そんなこと許されるはずありません。しかし、その甘美な幻想を  
告げる若様の声が残響となって、わたくしをかどわかそうといたします。  
「ぁぁあん……無理、無理ですぅ、ぁあっ」  
「無理ではないさ。僕がやってみせるというのだ」  
 若様の性器は熱く猛っておいででしたが、その口調は落ち着き払った理路整然とした  
ものでした。  
「だから、僕に任せてお前の全てを預けてくれないか」  
 そう仰って若様は上体を折り曲げ、わたくしの背中に覆い被さりました。武術の訓練で  
鍛え上げられた逞しいお身体が衣服越しながらハッキリと感じられます。  
「嬉しいのか?お前の内側がキュウキュウと締めつけてくる」  
「なっ!?」  
 返す言葉に詰まってしまったのは、若様の指摘が正鵠を射ていたからです。  
 後ろから密着され耳元にその吐息を感じ、初めてわたくしは若様と交わっているのだ、  
と実感することができました。相手が若様であれば牢獄のような薄暗く埃っぽい部屋で  
自由を奪われ後ろから犯されていようが、不思議と充たされた気持ちになってしまうのです。  
 しかし、そんなことを素直に言えるはずはありません。ですから、わたくしは唇を噛み、  
押し黙ることで、メイドとしての矜持を守ろうとしたのです。  
「……すまない。つまらないことを言った」  
 無言を貫くわたくしに若様は申し訳なさそうに告げられ、圧し掛かる姿勢のまま再び腰を  
動かし始められました。  
「こんなことをされて、悦ぶものなど誰もいない……分かっているんだ」  
 若様の沈痛なお声はわたくしの胸を締め付けました。若様は何も間違ってはいないの  
です。わたくしはどんな形であれ、若様に抱かれて悦んでいるのです。しかし、それは口が  
裂けても申し上げることはできません。  
「……どうして、僕は僕なんだろうな?どうして、お前と愛し合える人間に生まれなかったの  
だろうか」  
 ゆっくりとした口調ながら若様の一言一言が、わたくしの心を抉りました。それは  
"あの時"以来、何度わたくしが夢見たことでしょう。もし──もしも、わたくしがもう少し良い  
血筋の人間であれば人目を憚ることなく──。   
「若様」  
「いいんだ。気にするな」  
 その言葉とともに、若様のお身体が離れていきます。ぬくもりが急速に冷め、わたくしは  
喪失感に包み込まれました。それを思わず口にしようとした瞬間、息がつまるほどの  
刺激が全身を駆け抜けます。若様が腰を掴み深く、深く突き入れられたのです。  
「んっ!?ぁぁああ」  
 身体の深い部分に届いた若様の先端は電流にも近い快感を巻き起こします。あまりに強い  
その刺激が歓喜に変わり、全身の震えを止めることができませんでした。  
 
 そのまま、若様は少し乱暴ではありましたが、激しく出し入れを繰り返されます。痺れに  
似た凄まじい甘美な熱が押し寄せ、次第にわたくしはそれに溺れていきました。  
「はぁぁ、っんぁぁ……ぁあんぅ」  
 喉の奥から迸る声はまるで自分のものに聞こません。  
 はしたないという理性の咎めは、まるで効果を持たず止め処なく喘ぎが溢れ出てしまい  
ます。  
──若様はこれでわたくしが悦んでいることを分かってくださるかしら。  
──愛おしい殿方に狂おしいほどに求められて悦ばない女などいないのに……。  
 そんな想いを言葉にしたい、何度もそうしようと試みましたが、結局それを紡ぐことは  
できず若様がお与えくださる悦楽に押し流されて荒い呼吸を繰り返しているだけでした。  
でした。  
 一体、若様はどんなお顔でわたくしを貫かれているのでしょう。  
──もし若様に悦んで頂けるならば、わたくしも嬉しいのに……。  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
 
 行為の余韻が醒めても二人して床にしゃがみ込み、後ろから若様に抱き締められた  
まま、まどろんでおりました。  
 若様はわたくしの肩に顎を乗せ、目を瞑り押し黙られていました。  
 折り重なった長い睫毛は微動だにせず、その表情から感情を推し量ることはできません。  
重い沈黙に押し潰されそうになりながら、わたくしは行為のせいで力の入らない身体を  
若様に預けておりました。  
「……お前は」  
 薄暗い照明の空き部屋に若様のおもむろな言葉が響きました。  
「あの時、嬉しいと言ってくれたよな」  
 "あの時"とは、若様のお部屋で身体を重ねた時のことを仰られているのでしょう。  
「……今も変わらないか?」  
 もし行為の最中にそう訊ねられていたならば、一も二もなく頷いてしまっていたでしょう。  
しかし、ほとぼりも醒め、理性が本能を完全に制御下に置いてしまった今は違います。  
「お忘れください、と申しました」  
 わたくしがポツリと呟いた言葉を聞いた若様の身体が小さく震え、胸の前で組まれていた  
腕に込められた力が一層強くなりました。  
「そうか……そうだったな」  
 それっきり二人の間に会話はなく、ただ息苦しい沈黙の中で身動き一つせず身体を  
寄せ合い、ぬくもりを分け合っておりました。  
 
(了)  

明日は若様が婚約者様をお迎えに上がる日でございます。  
 この国の慣習では、新郎が新婦の自宅まで迎えに上がります。若様のお相手はある  
地方をお治めになっている領主のお嬢様のため、都から片道三日ほどかけてお迎えに  
向かわなくてはなりません。  
 また、盛大な結婚式とは別に、伝統に則った婚礼の儀をそれぞれの家で取り行うため、  
若様は都合一週間ほどお屋敷を空けられます。  
 ちょっとした小旅行となるため、この日が近づくにつれお屋敷の人々は慌しく準備に  
追われました。しかし、出発前日の今はそれも落ち着き、ただ明日を待つだけとなりました。  
 その最後の夜に、わたくしは若様のお部屋で紅茶を給仕しております。  
 離れで若様に襲われて以来、わたくしはお側仕えを避けることを諦めました。結局、  
お屋敷にいる限り若様が襲おうと思えば、いつでもそれは可能なのですから。  
 若様は定期的にわたくしの身体を求められました。あの日、お打ち明けいただいたと  
おり単なる快楽のためではなく、わたくしに子を孕ませようというお考えからでしょう。  
 しかし、わたくしもない知恵を巡らせ、あえて安全な日を選んで若様のお側仕えをする  
ことにしたのです。定期的に交わっていれば、若様が衝動的に襲ってこられることもなく、  
最悪の事態を避けられるのでは、と考えたからです。  
 いつも若様が、「身体に何か変化はないか?」とお尋ねになられる度にわたくしの心は  
この御方を騙しているかのような罪悪感からチクリと痛みましたが、二人のため──  
いえ、若様のためです。  
 結果、今日までの間幾度と無く若様の精を頂いてきましたが、わたくしは未だに妊娠しては  
おりません。そして、今日も同じことを訊ねる若様に首を振って答えると、あの御方の表情は  
沈痛なものへと変わりました。  
「明日、僕は妻となる女性を迎えに行かねばならない」  
 若様が眉を顰めて、苦渋に満ちた声で呟かれます。わたくしを縋るように見つめるその  
視線に思わず顔を背けてしまいました。  
「……おめでとうございます」  
 やっと搾り出した声はとても自分のものとは思えませんでした。  
「僕は……お前にだけはそう言って欲しくない。僕はお前を傷つけ、苦しめ、散々思うがままに  
弄んできた。今更、許してもらえるとは思わない……だから、お前は僕のことを疎ましく思うか?  
それとも、憎んでいるか?」  
「いえ、滅相もございません」  
 わたくしは小さく首を振って、若様の言葉を否定しました。  
「わたくしにとって、若様は大事な御方ですわ」  
 精一杯微笑かけてみても、憂いを帯びたご様子の若様が硬い表情を崩すことはありません  
でした。  
「お前はそう言うが、今まで僕のことを好きだとも……まして、愛しているとも言ってくれた  
こともないではないか!」  
 半ば強引とは言え、幾度と無く若様と肌を重ねてまいりましたが、わたくしは一度もそう  
言った類の言葉は口にいたしませんでした。口にしてしまえば、もう後には戻れない──そう  
思ったからです。  
「若様。あなた様は明日、婚約者様をお迎えに上がる身です」  
 
「だからだ!だからこそ、ハッキリさせたい!」  
 メイド服の裾を掴み、若様はわたくしを引き寄せられました。  
「答えろ、これは主命だぞ!」  
 語気を荒げても、若様のお顔には不安げな色がありありと浮かんでおりました。  
「……若様。わたくしがどのようにあなた様のことを想っても、身分の差は如何とも  
しがたいものでございます。それに若様も婚約者様を御覧になれば、わたくしの  
ことなど頭から消え去ってしまいましょう。何せ、それはそれはお美しいとメイド達の  
間でも評判にございますから」  
 若様は弱々しく首をお振りになって、悲しげな目でわたくしをお見つめになります。  
「例え、婚約者がどれほど美しかろうと、そんなことは問題ではない。僕はお前だから、  
愛しているのだ」  
 その言葉に思わず息を呑んでしまいました。例え叶わぬと分かっていても、愛しい  
御方から強く求められて喜ばない女はいないでしょう。  
「初めて”市場”で見た時からだ。お前は知らないだろうが、僕が通る以前にも何人かの  
貴族がお前に目を付けていたらしい。しかし、”ブローカー”の話に誰もが訳ありだと感じて、  
手を引いたと聞く。だが、僕はそれでもお前が欲しかった」  
 わたくしを見据える若様の真摯な瞳の輝きに、心が激しく揺すぶられます。  
「側に仕えさせてからも、自分を抑制するのに必死だった。嫌われてしまっては元も子も  
ないからな。しかし、婚約者が勝手に決められてからはそうもいかなくなった。一刻も早く  
お前を手に入れる必要があった。だから、あんな無茶なことをした」  
 不意に若様がわたくしの手を強く引いたせいでバランスを崩し、まんまと逞しいお身体に  
縋りつくかのような格好で身を預けることとなってしまいました。衣服越しでも伝わる温もりに  
知らず知らずのうちに惹き込まれていってしまいます。  
「僕はお前を誰にも渡したくない。だから……」  
「ご安心ください。わたくしはどこにも参りません。一生、若様のお側にお仕えいたしますわ」  
「……僕は仕えてなんか欲しくない。お前に愛されたい。ただ、それだけなんだ」  
「無理を仰らないでください。さあ、明日はご出立ですから」  
 わたくしが失礼にならないよう、手を外しゆっくりと若様から離れようとすると、慌てた  
御様子でしがみついていらっしゃいます。  
「行く前に、もう一度だけ……もう一度だけで良い。お前を抱きたい」  
 本当は火照って疼く身体を沈めて欲しかったのですが──もう夢から覚めていただか  
なければなりません。  
「いけません!若様、御自分のお立場を弁えください」  
 わたくしの叱責に若様は唖然とした表情で見上げておいででした。このように強く拒絶した  
ことは一度もございません──普段は、嫌がる素振りを見せながらも若様にされるがままに  
なっておりましたから。でも、今日は違います。  
 わたくしは結婚など望むべくもない程身分の低い者ですが、それでも女です。他の女性同様、  
どなたかの妻となり慎ましくも幸せな家庭を築きたいという願望は心の何処かにひっそりと  
息づいております。ですから、お会いしてはおりませんが、若様の婚約者様のお気持も  
僭越ながら分る気が致します。  
 
──もし、自分の夫となる方が、自分を迎えに来る直前に他の女性を抱いていたら……。  
──もし、自分の夫が妻である自分を顧みることなく、他の女性に心移りしていたら……。  
──もし、自分の夫の愛が自分に向かってないことを知ったら……。  
 それはそれは、恐ろしいことでしょう。ですから、今更ながらとは言え若様との関係を  
断たねばならぬのです。  
「……だが」  
「それ以上、仰らないでください」  
 決心が揺らぎそうだから。  
「分った……すまなかった」  
 若様は魂が抜けたかのように、ガックリと肩を落とし項垂れ虚ろな目で床を見つめて  
おいででした。そのお姿のあまりの痛ましさに、衝動的に若様を抱き締めてしまいました。  
腕の中の若様は小刻みに震えておいでです。しかし、柔らかな髪を優しく撫でますと、  
次第に若様の震えも治まっていきました。  
「僕はお前のことが好きだ。誰よりも、他の誰よりも、だ」  
「存じております」  
「……なのに、お前は僕のことを愛してはくれないのか?」  
 わたくしは何も言えず、押し黙りました。  
「どうして……どうしてだ……僕は……」  
「若様…………わたくし、若様にお買い上げいただいた御恩一生忘れません。だからこそ、  
若様に幸せになっていただきたいのです。若様が本当に幸せになるためには、わたくしなど  
ではなく……婚約者様とお幸せな未来をお築きください」  
 頬を熱い涙が伝いました。わたくしとて、辛い──身が裂かれるほどの痛みを感じている  
のです。  
「お幸せになってください」  
 わたくしの精一杯の声が虚しく響き渡りました。  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
 
 若様が出立された日から、お屋敷はガランと静まり返りました。  
 いえ、若様がいらっしゃらないだけであって、他の方々は普段と変わらずお過ごしです。  
しかし、わたくしには若様がいないということだけで、途端にお屋敷が色褪せてしまった  
かのように見えてしまいます。  
 若様をお見かけしない生活は砂を噛むように味気なく、わたくしはお勤めにも身が  
入りませんでした。そのせいか今日もお皿を割ってしまい、メイド長から厳しいお叱りを  
受けました。このお屋敷にあるお皿はわたくしの値段などよりも遥かに高いものばかりです。  
メイド長がお怒りになるのも当然のお話です。  
 お皿よりも価値のないわたくしが、若様に懸想するなど自分でも笑ってしまいます。  
 その日、わたくしは普段よりも遥かに疲れ、重くなった身体をベッドに横たえ、泥のように  
深い眠りへと落ちていきました。  
 
   
 一糸纏わぬわたくしは、若様の腕の中に収まっていました。  
 しっかりと抱きとめられて、僅かな身動きも許されないほどに密着しております。  
「若様……あれほど申し上げたのに婚約者様のことをお忘れですか!?」  
「婚約者?……ああ、妻のことか。お前が気にする必要はないんだ」  
 若様のお言葉がわたくしの心を深く沈みこませます。想像はしていました──けれども、  
実際にこの御方の口から”妻”という言葉を聞くと、目の前が暗くなっていくのに抗し  
きれません。  
 それに気取られている間に、若様の性器がわたくしの内側に滑り込みました。  
 そして、若様の手にわたくしの乳房は鷲掴みにされ、荒々しい動きで揉みしだかれます。  
「ふっ、ぅ……んぁぁ、はっ、このような不貞……い、いけません」  
「不貞?何が不貞だ。お前は僕の”もの”だ。忘れたのか?」  
 若様の冷めた声が心に響きます。  
「気持ち良いのだろ?」  
「んくっ……ち、違います!」  
 口から零れるのは、本心とは別の偽りの言葉。  
 本当は若様に抱いてもらえることが、嬉しくて仕方が無いのにわたくしは大嘘つきです。  
「嘘をつくな」  
「違っ……ぁぁん……い、いや、嫌です」  
「そうか」  
 妙に醒めた若様の口調にわたくしは違和感を感じました。何だか普段と違うその口調が  
気になって顔を見上げたのですが、若様のお顔からはまるで表情というものが読めません  
でした。  
「若様?」  
 心を過ぎった不安が思わず口から出ていました。  
「嫌なものは仕方ないな」  
 次の瞬間、ズルリと若様が私の内側から抜け出てしまいます。  
「えっ!?」  
 若様の性器が離れると同時に、そのお姿が消えてしまいました。慌てて身体を起し、辺りを  
見渡すとわたくしが横たわる寝台の横に、見たこともない天蓋付きのベッドがあり、その上で  
若様は白く輝く見事な裸体の女性を組み敷いていらっしゃいました。  
「わ、若様!」  
 脇のベッドまでほんの少ししか離れていない──そう思っておりました。しかし、どれだけ  
身を乗り出し手を伸ばしても、隣に届きはしませんでした。  
「お前は嫌なのだろう?僕に抱かれるのが嫌なのだろう?……僕には妻もいる。別にお前で  
なくても、もう構わないんだ。あれだけ情けをかけてやったのに、僕を拒むとはお前はどうしようも  
ない愚か者だ」  
 次の瞬間、若様が冷たく乾いた声で、嘲笑われました。  
 それを合図に若様と女性が、同時にわたくしの方に顔を向けられました。  
 お二人のお顔を正視できずに、わたくしは──。  
 
「イヤぁぁ!」  
 衣擦れの音とともに、上半身を起すとそこはわたくしに与えられたお屋敷の一室でした。  
「はっ……はっ……はぁぁ」   
 暗がりの中、小窓から差し込んだ月の光を見て、わたくしは自分が夢を見ていたのだ、  
ということに気づきました。まだ、若様は未来の奥様をお連れになる旅の途上で、お屋敷を  
空けていらっしゃいます。  
「ゆめ……夢ね」  
 わたくしは心に渦巻く複雑な思い沈めるため、枕に頬を寄せて再び眠りに落ちようとしました。  
しかし、その瞬間、白い枕カバーがじっとりと濡れていることに気がつきました。何気なく頬を  
触れると、まだ止め処なく温かい涙が溢れ出てきていました。  
「……ダメよ。もうあの御方は……」  
 自分に言い聞かせるように、繰り返し呟きました。  
 それでも涙はわたくしの意思に関係なく、ボロボロと零れ落ちてきます。  
 二度と睦み合うことの叶わないあの御方のことを思うと、どうしようもなく心が締めつけられ、  
堪え難い痛みが寄せては返す波のように、絶え間なく襲ってくるのです。  
 
 (了)  
 
 ご出立されて七日後に、予定よりも一日早く若様はお屋敷へとお戻りになられました。  
 本来であれば、すぐにお屋敷で新郎側の婚礼の儀が執り行われ、続けざまに贅の限りを  
尽くした盛大な結婚式が催されるはずでした。  
 にもかかわらず、今のお屋敷には、葬送の時のように重苦しく静まり返った雰囲気が  
充満しており、旦那様、奥様、そして使用人皆が一様に暗く沈んでおりました。  
 
 それは──若様が婚約者様を連れて帰ってはいらっしゃらなかったからです。  
   
 婚約者様は婚礼の儀を控えた前夜に忽然とお姿をくらまされてしまったのです。  
朝、かの家の召使が起こしに参りましたところ、室内には誰もおらず、窓は開け放たれ、  
ベッドの上には数的の血痕が残されていたとのことです。  
 先方様も四方八方、手を尽くされたのですがどこにもお姿はなく、予定されていた  
婚礼の儀も取りやめとなってしまいました。つまり、それはこの婚約自体が破談になった  
ことを意味しております。  
 お屋敷にお帰りになられた若様は三日三晩、人払いの上、自室にお籠もりになられて  
しまいました。きっと、深くお傷つきになられたのでしょう。無理もありません、御自分の  
婚約者様が婚礼の儀前日に失踪したとあっては心をお痛めになって当然です。  
 そして、そんな若様の姿を尻目に安堵の溜息を洩らしたわたくしは──最低の女でした。  
 自己嫌悪に心が苛まれながらも、背徳的な歓喜の震えを抑えきれないのです。  
 あまりに邪なその感情は、紛れも無くわたくしの若様に対する慕情が揺り動かすもの  
でした。禁じられた想い故、それが生み出すものはあまりに巨大で、自分自身を容赦なく  
傷つけていきました。そうやって理性が弱っていくことを良い事に浅ましい欲望は膨れ  
上がり、若様の温もりに触れたいという想いが四六時中、頭の中を駆け巡ります。  
 わたくしは、自分自身が狂ってしまうのではないかと思うほど、心の中に渦巻く相反する  
感情の激しい流れに翻弄されておりました。  
 しかし、そんな苦悩が続くある日に、わたくしは気づいてしまったのです。  
   
 狂ってしまえば良い、と。  
 
 その甘言は、瞬く間に理性を溶かし、薔薇色に塗りつぶされた幻想を次々と広げ、わたくしを  
誘惑するのです。心を焦がす恋慕の情に流され、何もかも白日の下に曝け出してしまえば  
良いのではないか──そして、後は全てを若様のお心に委ねるのです。  
──子を産め、と言われれば産んでみせましょう。  
──愛妾になれ、と命じられれば身も心も捧げてみせましょう。  
──離れるな、と仰られるならば人生もこの命も省みずお側に控えましょう。  
 それが若様のお言葉でありさえすれば──。  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆   
 
 若様がわたくしをお呼びになられたのは、日暮れから振り出した大粒の雨が激しい勢いで  
叩きつける夜のことでした。  
 
 それまでの間にわたくしは自分の紡いだ甘い考えに完全に魅了され、想いの丈を若様に  
伝えようと心を決めておりました。ですから、その時を今か今かと心待ちにしておりました。  
 密かに心躍らせながらお部屋に参上いたしますと、若様が憔悴しきったお姿で椅子に  
座っておいででした。入ってきたわたくしを見つめる目の下には隈がくっきりと浮かび上がって  
います。お優しい御方ですから失踪された婚約者様に、今も心を痛められているのでしょう。  
「若様、お呼びでございましょうか」  
 取り澄ましたつもりでも、心ならず声が上ずってしまうのが自分でもわかります。決心が  
揺らがないうちに早く告げてしまわねば、と気だけが急いてしまいます。  
「ああ。夜半にすまない」  
 しかし、そんなわたくしの心など露ほどもお知りにならない若様は渋い表情をしていらっしゃい  
ました。  
 暫しの沈黙の間、ガラス窓を叩く雨音とランプの炎の揺らぎだけが部屋の中で、わたくしに  
時間が流れていることを教えてくれました。  
「御用は何でしょうか」  
「お前も知ってのとおり、あの話は破談になった」  
 何度も言葉を飲み込んで、顔を強張らせた若様は呻くように呟かれました。  
「その節は、お悔やみ申し上げます」  
 心にもないことを口にできる自分自身に嫌悪感が湧いてきます。  
「だが、父さんも母さんも僕の結婚を諦めるつもりはないらしい。すぐさま代わりの相手を探し  
ている」  
 それについてはメイド達の間でも、噂になっておりました。「次はどちらのお嬢様だろうか」と  
皆が興じるおしゃべりを聞いていることが堪え難くて、そそくさとその場を後にしたことは一度や  
二度ではありません。  
 しかし、どれだけ耳を塞いでみたところで、若様の次なるお相手が探されていると言うのは、  
紛れも無い事実でした。由緒正しき血統の格式ある貴族で、しかも婚期を迎えたこの御方を  
周囲は放っておくことなど考えられません。実際、引く手数多でいらっしゃいました。ですから、  
お相手を探すといっても、実際は他家から送られてくる申し出の中から相応しいお嬢様を  
選ぶだけでしかありません。早晩、若様と釣り合いの取れる御方が現れてしまうことでしょう。  
 もう、若様がご結婚されることは不可避の事実です──だから、せめてわたくしの気持ち  
だけは伝えたい。  
「わか……」  
「やはり、いつまでも逃げることはできないと思う。つまり、僕自身も真剣に結婚のことを  
考えざるをえない」  
 わたくしの言葉を遮った若様が顔を挙げ、短い溜息を吐かれました。何故だか、その仕草が  
わたくしの心に暗い影を落とします。  
 重苦しい雰囲気が漂い始めた頃、窓を激しい雨が叩く音が一層大きさを増します。  
 まるで礫がぶつかるようなその音に、あの若様の一言が掻き消されてしまえば──。  
 
「……そこで、お前には出て行ってもらおうと思う」  
 
 刹那、ランプの灯りに若様のお顔が翳り、表情を伺い知ることはできませんでした。  
 
 僅かな時間の間に何度も何度も若様の声が反芻されました。  
 信じられない──いえ、信じたくありませんでした。  
 ですが、それが若様のお言葉で──御意思ならば──。  
「そう……ですか」  
 やっと、搾り出した声は我ながら憎らしいほどに鮮明でした。この場で泣き崩れて  
しまえば、楽になれるのに──でも、そんな資格、卑しいわたくしにはありません。  
 ひととき、分不相応の夢を見た自分が浅はかで、愚かしく、あまりに情けないので、  
この世から消えて無くなってしまいたい、心の底からそう願いました。  
 自暴自棄になりかけたわたくしを現実に引き戻したのは、苦悩の色がありありと浮かぶ  
若様の瞳でした。それは、この御方がほんの僅かでもわたくしのことを気にかけ、心を  
痛めていただけたことを如実に物語っておりました。  
 それが心を落ち着け、この後のことを考える余裕をくれました。しかし、すぐにわたくしは  
事態の余りの恐ろしさに、身震いが止まらなくなります。  
   
 お屋敷を辞めなければならないということは、再び”市場”に戻らなければならないのです。  
   
 今のわたくしには、再びメイドとして買って頂けるだけの価値はありません。今度こそ、  
娼婦として生きる日々を送ることになるでしょう。  
 見知らぬ男性をお客様として、お金を頂戴して一夜限りの相手として身体を許す自分の  
姿を想像するだけで、早くも眩暈がいたします。しかし、それだけがわたくしを買うために  
若様が支払われたお金の四分の一をお戻しするための唯一の方法。  
 堕ちていくだけの未来の惨憺たる有様に絶望する一方、これまでの人生が幸せ過ぎた  
ことに改めて気がつきました。メイドとして生きることは、貧しい女達の憧れであり、最高の  
至福でございます。まして、一度お払い箱になった身で再び若様のような凛々しく高貴な  
御方に買って頂き、あまつさえ僅かな時間とは言え、心寄せる方の温もりに溺れることが  
できたこと──これ以上の幸せがどこにありましょうか。  
 これからはこの思い出を大切に心にしまって、時々思い返せばきっとどんな過酷な運命が  
待っていても生きていけることでしょう。  
「短い……短い間でしたが、お世話になりました。僭越ながら、若様のこれからのご多幸を  
お祈り申し上げております」  
 この場の空気にこれ以上、堪えられなくなったわたくしがお辞儀をして、その場を離れよう  
とした瞬間、若様に引き止められました。  
「お前には色々と迷惑を掛けた。これはせめてもお詫びだ」  
 手渡されたのは、金貨が溢れんばかりに入ったズシリと重い布袋でした。  
「こ、これは!?」  
「これまでの給金代わりだと思って受け取ってくれ。それから、お前の債権を放棄する旨の  
証書も入っている。だから、買い上げた金の返戻はしなくて構わない」  
 お金の返礼をしなくても良いということは、娼婦として身体を売る必要もなくなったという  
ことでしょうか。あまりのことに脳裏には、深く立ちこめていた雨雲が、陽光によって切り裂かれ、  
やがて青空が広がる光景が浮かびました。  
 しかし、すぐさま黒雲が盛り返してきて、全ての光を遮ってしまいました。”自由”と言われても  
──世間知らずのわたくしがどうやって、この後生きていけば良いのか、と途方に暮れてしまいます。  
 
「……ありがとうございます」  
「働くあてはあるのか?」  
「いえ。これから探します。ご心配なさらないでください。探せば、きっとわたくしにも  
できる仕事の一つや二つぐらい……」  
「探さなくて良い。実は、ある屋敷で人が足りなくてな。勝手だとは思ったが、お前を  
紹介しておいた」  
 突然の申し出にわたくしは言葉を失ってしまいました。  
「アストラッド家というが……もう話はつけてある。お前さえ構わなければ、すぐにでも  
向かって欲しい」  
 アストラッド──という御家名は残念ながら存じ上げておりませんが、若様のご好意を  
無為にしないため、どこであろうと粉骨砕身、働こうと即座に決断いたしました。  
「変わらずメイドとして、でしょうか?」  
「メイドとは少し違うが、悪いようにはしない。信じておくれ」  
 若様のお言葉を信じるも信じないもございません。世間を知らぬわたくしが職探しなど  
してみたところで、酒盛り場の給仕がやっとでございましょう。お屋敷仕えとそれを  
比べれば、雲泥の差がございます。  
 わたくしはメイドの作法とはまるで違うお辞儀を何度も繰り返しました。  
「ありがとうございます。一生、この御恩は忘れません」  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
   
 わたくしは二日ほどお暇を頂き、その間に荷物を纏め、一緒に働いたメイド達に  
お別れを告げました。誰もが口々に「何故、解雇されたのか」と問うてきましたが、  
わたくしはただ曖昧に笑い、その理由については決して口にはしませんでした。  
 そして、その日がやってきました。  
 その朝、わたくしは両親から譲り受けた形見のトランクケースを片手に、清掃を終えた  
私室を見渡しました。  
 私物は全て革製のトランクに詰めておりますから、部屋はガランとしております。その光景が  
初めてここに来た時のことを思い起こしました。  
 見慣れた小さな両開きの窓から、朝日が皺一つなく整えたシーツの上に差し込んで  
おります。壁には二度と着ることの叶わない、このお屋敷のメイド服が掛けられております。  
 初めて若様に求められた日、メイド服のボタンを引き千切られ大変な思いをしました。  
あの時は自室に戻るなり、余韻で火照る身体を鞭打ち、泣きそうになりながら必死に  
ボタン付けをしたものです。今では思い出す度に自然に頬が弛んでしまう良い思い出です。  
 名残惜しさはありつつも、わたくしは部屋を出て静かにドアを閉めました。  
「……さようなら」  
 
 毎日を過ごしたこのお屋敷との別れを惜しむ気持ちは膨らむ一方でしたが、それにも  
増して若様への身の程知らずな慕情が身を焦がすほどに込み上げてきました。  
 居た堪れなくなって、わたくしは逃げるように建物を出ました。  
 結局、あの日以来、若様とお話することも、お会いすることも叶いませんでした。しかし、  
元々、主人とメイド──それに今のわたくしは解雇された身。ですから、お目になど  
かかれるはずございません。  
 お屋敷の門を一歩でると、その前に立派な二頭立ての馬車が止まっておりました。  
栗毛色の毛並みの良い馬は、黒く大きな瞳でわたくしを見つめます。  
 暫しその馬の姿に見蕩れていたところ突如、後方から声を掛けられました。  
「失礼ですが、あなたはこれからアストラッド家にお向かいになられる御方でしょうか?」  
「えっ……ええ。はい」  
 返事をすると、御者の格好をした男性は品の良い笑顔を浮かべながら、帽子を取り  
お辞儀をしました。  
「そうですか、あなた様がですか。私はこちらのお屋敷の方に、あなた様をアストラッド家まで  
ご案内するよう申し付けられたものでございます」  
「どなたにでしょうか?」  
「さあ、お名前はお伺いしなかったので、存じ上げません。ささ、お乗りください。お待たせ  
してはあちら様に失礼ですから、さっそく出発致します」  
 促されるままに慌しく馬車に乗り込むと、すぐに御者は馬に鞭を入れました。  
 窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めていると、自然と視界が霞んできました。  
何度目を拭っても、すぐに光景が滲んでしまいます。短い溜息をつき、二度と会うことの  
できない愛しい御方のお顔を思い起こしてみました。  
 
 揺れる車中、わたくしは顔を覆い──嗚咽が御者に聞こえぬように泣き続けました。  
   
(了)  
 
 僕にとって、妻と閨を共にすることは純粋な愉しみであり、悦びだ。  
 多くの貴族達は、夫婦の性交は跡継ぎを作るためと言って憚らないが、妻との交わりを  
そのように思ったことは一度もなかった。  
 妻の華奢な身体は、僕が突き上げる度に陸に上がった若魚の如く跳ね回り、大人しく  
腕の中に収ってくれない。  
「あっ!……は、んっぅ……やっ」  
 眉を潜め必死に声を洩らすまいと唇を噛み締めるその姿がいじらしく、どうしようもなく  
愛おしい。  
 弓なりの背に回した腕を解き、替わりに”彼女”の乳房を掌で弄ぶ。  
「ふっ、んっ……ダメ、ダメです……ぁああ」  
「今日は、一段と可愛らしい声で啼いてくれるんだね」  
「いや……あんっ……そ、そんな意地の悪いこと……仰らないでください」  
 首を振ると見事な黒髪がうねり、幾条かが汗の浮く白い首筋に張り付く。  
「いや、意地悪をしているつもりはないよ。褒めているつもり」  
 それでも”彼女”は長い睫毛を震わせながら、閉じた目を開けようとしない。  
「イヤらしい女では……あなた様の妻に相応しくありません」  
 別にそんなことを気にしたことはない。淫らだろうが、何だろうが、”彼女”でありさえ  
すれば僕には充分だ。  
「そんなことは気にしてないから、安心して。僕の妻はお前しかいない……その代わり、  
嫌だと言っても手放してはやれないけど」  
 途端に妻は頬を真っ赤に染めて、やっと目を開く。  
「……もったいないお言葉」  
 恥ずかしげに口籠もる”彼女”を眺める僕の脳裏に、ふと昔のことが過ぎった。  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
 
 昔と言っても、たかが一年前のことだ。  
 当時の僕は屋敷のメイドに懸想していた。彼女を初めて見たのは、貴族の友人に  
連れられて行った”市場”だった。我が家ではあまり市中に出かけることを良しとしないため、  
人身売買を行う”市場”と呼ばれる場所があることは知っていたが、実際に出向くのは  
それが初めてだった。  
 そこで、僕は彼女を見つけた。  
 中年の”ブローカー”は、「コイツは女としては問題ないんですが、歳を食っているし、  
何よりどこぞのお屋敷を首になって”市場”に出戻ってきたんで、買い手なんて見つかりっこ  
ありませんよ。どうせ売れ残るのは間違いないから娼婦として売りに出そうと考えていたところ  
でして、旦那が買ってくれると言うなら、その辺りのメイド志願の女より格安でお売りします」と  
言った。  
 別に格安でなくても、僕は彼女を買ったに違いない。  
 彼女に買った旨を告げると、僕の前で大粒の涙を流しながら何度も礼を述べ、繰り返し  
頭を下げてきた。  
 
 別に彼女が礼を言う必要などなかった、僕が他の誰にも渡したくなかっただけだから。  
 屋敷に連れて帰ると、父と母から猛反発を受けた。屋敷のメイドは皆、目の確かな  
メイド長が選んでいる。給金で働くメイドも買い上げてくるメイドのいずれも、である。  
 だから、僕が勝手に”市場”で買ってきたどこの馬の骨とも知れない女を側仕えさせる  
ことには露骨に嫌そうな顔をした。  
 だが、僕は断固として主張を曲げず、ついに彼女をメイドとして働かせることを  
認めさせた。それからというもの、退屈だった毎日が一変した。彼女のことを思えば心が  
躍り、彼女の顔を見れば天にも昇る無情の喜びに浸る日々が続いた。  
 しかし、そんな幸福な時間はあっという間に終わりを告げた。  
 彼女を迎え入れてから半年もしないうちに、僕に縁談の話が持ち上がったのだ。  
 破談にしようと努力してみたものの、ひとたび家同士で決められたことを個人の我侭で  
覆せるほど貴族の社会は甘くない。最終的には逃げ道を全て塞がれ、見知らぬ女性と  
結婚することを渋々承諾せざるをえなくなってしまった。  
 だから、せめて想いの丈だけでも伝えようと彼女を呼び寄せた。しかし、彼女が開口一番  
告げたのは、「ご婚約おめでとうございます」という最も聞きたくない言葉だった。  
 それが引き金となって、行き場を失った慕情が狂ったように暴走を始めた。  
 衝動に駆り立てられれるまま、彼女に襲い掛かり、抵抗する彼女を組み敷き、必死に  
赦しを乞う彼女を犯した。  
 いくら主従と言えども許される行為ではなかった。だから、あの夜の出来事があって以来、  
彼女が僕を避けるようになったとしても止むをえないことだった。そうだと頭で分かっていても、  
恋慕の情は募り心を激しく掻き毟った。いつの間にか、彼女をどうすれば、我がものにできるか  
ばかり考えるようになっていった。  
 悩んだ末に、僕は彼女に子供を産ませることを思いつく。  
 彼女に子供を産ませ、そのまま暇を出す。無論、住む家や生活に困らない費用を出しながら  
密かに通い、然るべき時に公にして彼女と子供を迎えに行く──今となってみれば、問題を  
先送りにするだけの浅はかな猿知恵だったと感じるが、当時は夢見心地になったものだ。とは言え、  
大前提である子を宿すことすらできなかったため、計画はいとも容易く頓挫した。  
 そうこうするうちに、婚約者を迎えに上がる前夜になってしまう。  
 その夜、彼女は僕をハッキリと拒絶した。今まで、「嫌だ嫌だ」とは言われたが、最後は  
僕の我侭に付き合って身体を許してくれていた彼女が何もかもを拒んだ。  
 希望の扉が閉ざされ、目の前が暗くなっていった。残ったのは、絶望と言う名の暗闇。  
 
 結局、彼女の目には、僕が主人の地位を嵩に使用人を弄ぶ我侭な子供に映ったのだろう。  
 歳は三歳ぐらいしか離れていないが、彼女は僕とは比べ物にならないほど苦労を重ねて  
きたことぐらい──無数に赤切れた指を見ただけで分かる。  
 できれば、炊事も洗濯も──メイドの仕事すべてをやらせたくなかった。ただ、僕の側で  
一緒に食事をして、お茶を飲みながら談笑して、同じ寝具に入り、そしてまどろんでいて  
欲しかっただけなのに──それは夜空の星と同じぐらい遠く思えた。  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
   
 婚約者が失踪したことは──相手方には誠に申し訳ないが僥倖だった。  
 許される感情ではないことぐらい重々承知している。それでも──許して欲しかった。僕が  
愛したのは見知らぬ婚約者ではなく、メイドの彼女なのだから。  
 せめて、失踪した婚約者もどこかで彼女の愛する人物と幸せに暮らしてくれれば良いのに、  
と思ったがそんなことはありえないだろう。ベッドに残った血痕からも明らかな通り、きっと  
何らかの事件に巻き込まれたと考える方が妥当だ。  
 相手方に一通りお悔やみの言葉を述べ、僕は早々に自分の屋敷に戻ることにした。ここに  
いても何もできないし、もし仮に婚約者が帰ってきても、この話は彼女が婚礼の儀の朝に  
いなくなった時点で無いものになったのだ。元の鞘には戻らない。  
 妻帯者になることを免れたとは言え、僕は出発前のあの夜のことを思い出すと気分が  
憂鬱になった。  
 僕に凌辱された後も、彼女が自分を主人として慕ってくれていることは知っている。だが、  
それも所詮、僕が彼女を”市場”から買い上げた貴族だったからに過ぎないのではないか。  
もし、他の誰かが買っていれば、彼女はその他の誰かを慕ったのではないか。  
 そう思うと、一気に不安が襲ってきた。  
 彼女に”男”として愛されていなければ──感謝が形を変えただけの慕情しか抱かれて  
いないとすれば、僕に彼女を伴侶として迎える資格などない。だが、例えそうだとしても、  
彼女の本心を知らなければ僕の気持ちに決着はつけられないだろう。  
 そして、その答えは彼女に求婚することでしか得られない。  
 そうしなければ、彼女は僕の求愛を単なる我侭な貴族の戯事ぐらいにしか考えてくれない  
だろう。僕が本気だということを理解してもらうにはそれしかない。それに、前の二の舞は  
御免だった。次の相手こそは、自分が見初めた女性にしたい。  
 だが、現実的に求婚することを考えると、彼女がずっと口にしていた身分の差が重く僕の  
心に圧し掛かる。貴族が求婚することは軽い話ではない。まして、我が家のように格式を  
重んじる家系の息子が買い上げのメイドに求婚したなどと世間に知れれば、醜聞好きの  
連中から格好の餌食にされるに違いない。  
 僕だけならば、何と言われても構わない──しかし、両親、兄さんや妹達のことを考えると  
気が滅入る。一人の愚かな人間の犯した不始末で没落していった貴族は、歴史上腐るほど  
いる。  
 僕はそんな連中を鼻で笑っていた──そして今度は、僕が嘲笑される番だった。  
 彼女を本気で愛していないから、僕は今更になって求婚を躊躇い、家のことばかり考えるの  
だろうか。いや、違う。僕は愛している──誰よりも彼女を愛している。そうでなければ、ここまで  
悩むことなどないのだ。  
 八方塞の現実に僕は溜息をつくことしかできない。  
「ダメだ……」  
 絶叫は、畦道を走る車輪の音に紛れたが、頬を伝う熱いものは堪えきれなかった。  
 結局、どうあっても彼女に求婚することなど──まして、伴侶として迎えることなどできないのだ。  
 
 深い絶望に覆われ、考える力をなくした僕は放心したまま窓の外を流れる似たり寄ったりの  
長閑な田園風景をただ眺めていた。そのうちに、何かが脳裏で蠢く。それは漠然としていながら  
明確な自己主張を秘め、小さな囁き声でありながら聞き逃すことを許さない響きを帯びていた。  
 急いで、しかし、それが壊れてしまうことのないように丁寧に、思考の泥濘の中から”それ”を  
掬い上げる。  
 
 作れば良いのだ──高貴な家柄かつ彼女と同じ美貌を併せ持つ”彼女”を、僕が作って  
しまえば良いのだ。そうすれば、誰にも何の気兼ねもなく求婚できるではないか!  
 
 何故、こんな簡単なことに気がつかなかったのだろう。瞬間、僕は狂ったように湧き起こる  
笑いを抑えきれず、馬車の中を転げまわった。  
 幸い資金は潤沢にある。金に糸目をつけず、湯水のように注ぎ込めば不可能な話ではない。  
僕は屋敷に戻る前に、友人の邸宅へこっそりと寄ることにした。勿論、僕のこの素晴らしい  
アイディアを相談するためだ。  
 僕が一通り説明を終えると、友人は怪訝な表情を作る。  
「……気でも触れたか?」  
「いや、至って正気だよ。僕は」  
「だとしたら、元々、おかしくなっていたとしか考えられないな」  
 友人は僕の考えを聞くなり、肩を竦め、呆れ顔を作った。  
「協力しろよ、な?」  
「もう一度訊くが、本気か?」  
 覗きこむ彼の視線は未だ僕が冗談を言っているのではないかと、半信半疑だ。無理もない。  
 こんな途方もなく、馬鹿げたことを言い出す人間などそうはいないだろう。   
「大体、お前の考えには貴族社会で尊ぶべきモラルが欠片も感じられない」  
「欲しいものを手に入れるために、金を使う……どこが、おかしい?」  
「方法が問題なんだよ!」  
 珍しく冷静な友人が怒鳴るので、さすがに僕も居住まいを正す。一度、息を吸い込み、  
肺が充たされたのを確認するとゆっくりと吐き出し、気持ちを落ち着ける。  
「……協力しろ。お前以外に頼める人間がいない」  
 低く押し殺した声は僕が本気の証拠だ。  
 友人を暫く僕の目を探るように見つめ、溜息を零す。  
「……ちっ。分かったよ。だけど、俺はどうなっても知らんぞ!」  
 渋々と言った態だが同意してくれたことで、胸を撫で下ろす。僕の計画に不可欠だった  
協力者を得たからには、理想の”彼女”を作ることへの障害はなくなった。  
 
 そして──彼女を屋敷に置いておく理由もなくなった。  
 
「そう……ですか」  
 彼女は眉一つ動かさず、バラバラという雨音の中でもハッキリと聞こえる澄んだ鮮明な  
声を紡ぎ出す。  
 
 せめて、泣き崩れてくれれば──きっと気が変わっただろうに。しかし、彼女はまるで  
申しつけを聞くかのように、淡々と事実を受け止め小さく頷くだけだ。  
 金貨と証書が入った袋を渡す。本当は証書をアストラッド側に譲り渡すと告げるつもり  
だったが直前で止めた。証書などなくとも彼女が僕の申し出を断る可能性がないことが  
分かりきっていたからだ。  
 案の定、何も知らない彼女は長い睫毛を震わせ、僕に感謝の言葉を何度も繰り返す。  
 彼女を下がらせると、全身に冷たい汗をかいていたことに気づく。分かっていても、  
愛する人間を手元から失うことは、この上なく辛いことだった。  
 しかし、それもこれも僕の伴侶たりえる”彼女”を作り出すため止むをえないことなのだ。  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
   
「どうか、なされましたか?」  
 ”彼女”の一声で、僕は現実に引き戻された。  
「いや。ちょっと、昔のことを思い出していた」  
「昔の……女性のことをですか?」  
「お前を手に入れるまでの顛末を、さ」  
 ”彼女”は僕にとって完璧な女性だ。  
 流れるような黒髪、深みを持つ瞳、緩やかな曲線の鼻、薄いけれど瑞々しい唇、ほっそりと  
していながら女性的な柔らかと膨らみを失わない肢体──どれをとっても”彼女”は僕の  
思い描く理想そのものだ。  
 羽毛のように柔らかな髪を一房、手に取り何度も指を通してその感触を愉しむ。行為の  
途中だが、時にはこんなのも良いかと思う。  
「後悔なされたのですか?」  
「まさか」  
「わたくしは……偽者ですから」  
「誰も気づかなければ、本物さ。僕とお前と協力者以外、誰も知らない」  
 そっと口を寄せ、不安げな”彼女”の唇を奪う。  
「怖いのです。いずれ、本当のわたくしを知るあなた様がお見限りになられる日が来るの  
では、と」  
「奇遇だね。僕も怖いよ。お前が僕を捨てる日が来るんじゃないかって、ね」  
 僕の答えに、腕の中の”彼女”は納得のいかない表情をしている。  
「……業が深いだろ、僕は」  
   
 ◇ ◆ ◇ ◆  
 
「この期に及んでだが、もう一度聞かせてくれ。本気なのか?」  
「ああ」  
 ある舞踏会場の二階に客間を一つ用意してもらい、僕と友人はそこである女性を待っていた。  
 
「問題になる……では、すまないぞ」  
「バレたら、の話だろ」  
「俺がバラすかもしれない。口が軽いのだけが取り得だからな」  
 僕が笑うと、友人は何だよと唇を尖らせる。  
「大丈夫だよ、お前ならば」  
 もし、友人が本当に暴露するつもりなら、わざわざ僕の気が狂った計画に協力するなど  
という危ない橋を渡る真似はしなかっただろう。それに何より彼は信頼に足る人物だ。  
 そうこうするうちに、ドアをノックする音が室内に響く。  
「どうぞ」  
 開いたドアの向こうには、見目麗しい貴婦人が困惑の表情を浮かべながら立っていた。  
 僕が作り上げた”彼女”だった。  
 そして目が合った途端、”彼女”の長い睫毛が震え、漆黒の瞳が大きく見開かれる。  
 ゆっくりと立ち上がって一二歩、”彼女”に歩み寄り、深々とお辞儀をする。  
「ご機嫌麗しゅう」  
「……あ、ああ。こ、これは……悪い冗談なのですね。そうです、そうに決まっていますわ!」  
 ”彼女”は唖然とした表情ながら、僕に疑義の視線を投げ掛ける。  
「何を仰っているのでしょうか?」  
 わざと惚けてみせる。すると、”彼女”が白い手袋嵌めた指先でスカートをキュッと握り  
締める。  
「何故ですか?何故、わたくしに他人の真似事などさせるのですか?」  
「……あなたが欲しかったから。そのためにあなたの人生を捻じ曲げ、歪め、そしてあなたの  
全てを作り変えた。他人の人生を弄ぶなど、唾棄に値する行為であることは分かっています」  
 ”彼女”も友人も押し黙って、ただ僕を見つめる。  
「自分の罪の深さは認識しています。ただ……あなたへのこの想いだけは嘘偽りないもの  
です。だから、今日この場で、僕が求婚することをお許し頂きたい」  
「きゅ、求婚!?」  
 驚きの余り、大きく開けた口を”彼女”は慌てて掌で覆い隠すが、目はあちこちを泳いでいる。  
僕はそんな”彼女”の前に跪き、そっと左手の白いレースの手袋を脱がせる。ほっそりとした  
指先に触れるとゾクリと歓喜が背筋を走る。  
「わたくしめの願い出に、お答えを頂きたい」  
 古くからの定まった求婚の口上を述べた僕、片膝立ちの姿勢のままは目を閉じる。  
 後は、”彼女”からの答えをただ待つだけだ──求婚を受け入れるならば、女性はその旨を  
口にし、もしそうでないならば、無言のまま手を引く。  
 自然と”彼女”の手を握る指が震える。女性が決断するまでの間、求愛した男は女性の顔を  
見てはいけない。これは男が女性を脅したり、威圧したりして決断を誤らせることのないように  
定められた求婚の礼節である。破られた場合には、女性は求婚の申し出をなかったものに  
することができる。  
 僕は瞼を閉じて重苦しい空気の中、”彼女”の言葉を待った。  
 
 ”彼女”が声を掛けてくれることを心の底から祈った。  
 微かに”彼女”の指先が震える。  
 無意識のうちに”彼女”の手を握る指に力が籠もってしまう。手を引かないで欲しい、  
縋るような想いでただ、答えを待つ。  
 そして、それは唐突に降り注いできた。   
「……これは、夢ではないのでしょうか?」  
 ゆっくりと見上げると、”彼女”がその澄んだ瞳で僕を見ながら問い掛ける。  
「悪い……夢なら覚めて欲しい、とでも?」  
 ”彼女”が首を横に振り長く伸びた黒髪がしなやかに踊る。  
「いえ。その逆です。夢なら覚めないで欲しいと」  
 ドクン!  
「こんなわたくしで宜しいのですか?わたくしは……」  
「お前でないとダメなんだ。お前が僕の側に居て、僕を愛してくれれば……それ以上、何も  
望まない!」  
 求婚の作法は完全にすっ飛んでいた。細い手を握り締めたまま、僕は慈悲を乞うが如く  
叫んだ。”彼女”は駄々を捏ねる子供をあやす母親のように目尻を下げて苦笑いを浮かべていた。  
 
「では……わたくしを幸せにしてくださいませ」  
   
 そう答えた”彼女”が微笑んだ姿は息が詰まるほど美しく、僕は愚かにも誓いの口付けを  
忘れて暫くの間、見惚れていた。  
 
 ◇ ◆ ◇ ◆  
 
 そして今、”彼女”と上質な絹のシーツの上、互いに生まれたままの姿で一つになっていた。  
「はぁ、っ……ふっ、んん……も、もう、おかしく……な、なってしまそうで、ぁん」  
 額に珠のような汗を浮かべながら、目尻を下げ今にも泣き出しそうな顔で喘ぐ”彼女”は  
どんなものよりも僕の心を悦ばせ、そして充たしてくれる。  
「もう少し、くっ……我慢して」  
「は、っん、はい……ひっ、ぁくぅ」  
 僕の言葉に素直に従う”彼女”は、どれだけ責めても慎ましさだけは決して失わない。黒い髪を  
振り乱し、僕の与える快感に悶えながら”彼女”は昇っていく。  
 それに呼応して、”彼女”の内側は締め上げる力を強くし、僕の下腹部に痺れにも似た快感が  
広がる。こうなると、僕が達するのも時間の問題だった。  
「……っ!」  
 声を噛み殺して、”彼女”の内側に精を放った。  
 迸った子種は一度や二度では留まらず、脈動を繰り返しながら自分でも信じられないぐらいに  
出てくる。吐精が終わると、僕は”彼女”の隣に身を横たえ、鼻先が触れ合う距離で見つめ合う。  
”彼女”の双眸にはまだ僅かに官能の炎を燻ぶっており、それを見ただけで性懲りもなく再び欲情が  
込みあがってくる。  
 
「子供……できると良いね」  
 劣情を隠すように、何気ない素振りで僕は呟いた。  
「……どちらが宜しいですか?」  
「お前に似た女の子、が良い。男だと、僕みたいに罪深くなりそうだから」  
 冗談のつもり──僕は笑ったはずだった。  
 でも、違った。  
 僕は泣いていたのだ。  
「自分をお責めになるのは……もう止めてください」  
 ”彼女”の手が伸びてきて、曲げた指で僕の目尻を拭う。  
「わたくしは感謝申し上げているのですから」  
「……」  
「お屋敷の玄関を開けた途端に、一列に並ばれた使用人の方々が『お帰りなさいませ、  
お嬢様』と仰った時は、さすがに頭がおかしくなりそうでしたが……」  
 その話を聞くのは何度目だろうか。  
「でも、わたくしが夢にも見たことがないぐらい素晴らしい生活を送れるのは、あなた様の  
おかげなのですよ」  
 頬を桜色に染めながら、”彼女”がニコリと微笑む。  
「僕は感謝されるようなことは何一つした覚えはない。ただ、僕の我侭でお前を振り回した  
だけだよ」  
「フフフ。では、我侭のお相手に選ばれたことを感謝いたしますわ」  
 ”彼女”には敵わない。  
「でも、わたくしのためにあなた様には、計り知れぬご苦労をお掛けしました……そのことを  
後悔なさったことはないのですか?」  
 頬にかかった黒髪をそっと払ってあげると、”彼女”は擽ったそうに目を細める。  
「いや。アストラッドの名籍を買うのは手間こそかかったけれど、実質ただ同然だったし、  
この屋敷だって……まあ、安くはなかったけれど別に無理をした覚えは無い」  
 幸福な現在から振り返ってみれば、アストラッドの名籍や屋敷を買うために費やした金など  
どれほどのものだったと言うのだろうか。婚礼先から屋敷に戻り、三日三晩を費やして名籍を  
買収するため各方面へ手紙を書きまくり、極度の寝不足に陥ったことも今となれば良い思い出だ。  
「でも、わたくしのためにして頂いたことは、貴族の方々の道徳観とは相容れないことだと  
仰いましたよね。やはりご迷惑をお掛けして……」  
 ”彼女”の言うとおり、僕の取った行動は貴族制度そのものに対する冒涜行為だった。  
自分の愛した女性のために、血筋の途絶えた貴族の名籍を買い取り、そこへ彼女を送り込み、  
まんまと跡継ぎにしてしまう──つまり、貴族の地位を金で買ったのだ。企てが露見した日には  
唯では済まないことぐらい覚悟している。  
 しかし、秘密が保持されさえすれば、”彼女”への求婚も所詮、貴族同士のありふれたもの  
に過ぎないのだ。たとえ、相手の素性が、卑しい身分の出身だったとしても、だ。  
 こうして、僕は求婚できない彼女を、伴侶たりえる”彼女”へと作り変えたのだ。  
「良いんだ。別に構わないんだ。僕からして見れば、貴族の考え方が間違っているんだよ」  
 
 そっと手を伸ばし、指先で”彼女”の頬を撫でる。形を確かめるように、何度も何度も  
なぞっていると、ジワジワと幸福感が込み上げて来る。  
「今まで僕の我侭に散々振り回したお詫びに、お前の望みを叶えたいんだ。思いつく  
ものを何か言ってくれないか?」  
 問い掛けに、”彼女”は少し小首を傾げ「では……」と婉然としながら唇を動かす。  
 
「若様……約束を忘れないでくださいませ」  
 
「……それだけか?」  
「はい。お忘れにならないで頂けるなら、それ以上何も望みはございません」  
「欲が無さ過ぎるのも考えものだぞ。いらない勘繰りを受ける」  
 貴族社会は権謀術数が渦巻き、欲深い亡者どもが跋扈している。自分自身達が様々な  
欲を抱くからこそ、他人も同じだと踏む連中は”彼女”のような無欲な人間を最も危険視する。  
「あら。これでも充分欲深いつもりですが。卑しい身分のわたくしが、若様に約束を……」  
「若様は止めてくれ。もう、夫婦なのだから」  
 僕が浮かべた笑いは、苦笑いと照れ笑いの中間だった。今でも時々、”彼女”はメイド  
だった頃みたいに僕のことを「若様」と呼ぶ。昔は何も思わなかったけれど、今は何だか  
むず痒いからおかしなものだ。  
「はい、そうですね。やっと笑っていただけましたから、もう止めますわ」  
 その時初めて、僕は自分の涙が止まったことに気がついた。  
 やっぱり、”彼女”には敵わない。   
「そう言えば、まだわたくしの望みに対するお答えをお聞きしていなかった気がします」  
 唇の舌に人指し指を当てて、”彼女”が僕をジッと見つめる。  
「忘れないさ……お前を幸せにすることこそが、僕の望みで、僕の幸せそのものなのだから」  
 想いの丈を伝えると、僕は”彼女”の可憐な唇を塞ぎ、柔らかな裸身を胸に引き寄せた。  
 この腕の中の温もりがもうどこにも行かないように、ただ──ただ強く抱き締める。  
 
 (完)  

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